日本国内でも有数の幹線である鹿児島本線は、大量の人々を速く輸送するという鉄道が本来生まれ持った使命を第一に担っていました。
2004年春、新幹線開業と同時に、地域と共に未来へ走り始める肥薩おれんじ鉄道の駅とは、どうあるべきか考えました。
理想的な駅とは 『生き生きした人々の様子が見える公共空間』 だと思います。
「公共空間」とは市民ホールや図書館のような公共施設ではなく、井戸端や路地と言われる、私たちの身の回りにあった馴染み深い空間のことです。
地場産業の衰退や車社会の発達で、街から人の姿が消え、日本の農村や地方都市はそのような公共空間を見失っているのだと思います。
人は街を作り、街は人を育てます。街における「公共=パブリック」とは、まさに「人間同士の思いやる心」で成立する空間でしょう。
近年、日本でも凶悪犯罪が増えて「心の教育」が必要だと唱えられますが、地方都市も車ばかりで、人が歩かない「心のない街」が無制限に増えている現状では、日本を取り巻く問題の本質は、私たちの身近な街の、しかも深いところにあると思います。
目先の便利さと引き替えに失われた「心」を取り戻す場として、肥薩おれんじ鉄道の28駅は大きな役割を担っていると言えます。